愛野町は島原半島の根元に位置しています。愛野町の南側には橘湾が面しています。町名の由来については、明治22年の愛津村と野井村の合併の際、両村の字をとって並べたことによります。近代以降は陸上交通の要地として繁栄を続けています。

 島原半島の陸の玄関口として古くから交通の要衝として栄え、東西に緩やかに傾斜する台地状の畑地帯と肥沃な水田地帯に分けられます。

 愛野地域の地理的位置や交通の利便性、インフラ整備によって宅地開発や大型店舗、娯楽施設などの事業所進出が急速に進んでいます。

 文化遺産としては、五世紀後半から六世紀頃に築造され、豪族の長の首を葬ったと伝えられる「首塚」や六世紀の豪族の墓と言われる「一本松古墳」、島原藩と諫早藩を分ける「藩境石塚」、坂本龍馬らが長ア上陸後の旅で宿泊したと言われている「愛津村庄屋跡(深浦家屋敷)」や「野井村庄屋跡(中尾家屋敷)」があります。

愛野展望所

日露戦争時、34連体の第一大隊長に任ぜられ、海の軍事・広瀬武夫中佐と並んで、陸の軍神と呼ばれる橘周太氏(橘中佐)をお奉りする神社。勤勉さ、部下に対する真心の深さと教育精神で今もなお、人々の心に行き続ける。

愛野駅

千々石氏の根拠地であったが現在は釜蓋城跡公園として整備されています。

首塚

樹齢なんと450年の大いちょう。